世界天文年2009:ガリレオの生涯 - 11.第一次裁判/敵対者たち

11.第一次裁判

敵対者たち


告発

 ガリレオの名声が高まるとともに、彼への敵意はしだいに増大していった。ガリレオは敵を作りやすい性格だった。ガリレオは自分が批判されたときの反論として、相手を完膚なきまでに徹底的に攻撃し論破してしまうのだった。科学と宗教の対立というよりも、ガリレオという人そのものが、地動説への反発を招いていた面も多分にある。
 ガリレオへの非難とは、具体的にはガリレオの主張する地動説が『聖書』に反しているのではないかというものだった。ガリレオをよく思っていないロリーニという神父がガリレオをローマの異端審問所に告発した。自分が訴えられているとも知らずガリレオはローマを往訪し、自分の説を高らかに主張した。そんなガリレオを当時の教皇パウルス五世が不愉快に感じていたこともあって、最初の宗教裁判がはじまったのだった。


お咎めなし

 この裁判は、実はとても穏健なものだった。ガリレオは堂々と自説を展開していたし、それを咎められることもなかった。判決というものも出ず、決まったことは、フォスカリーニというナポリのカルメル会神父の書いた、コペルニクス地動説と『聖書』の記述を和解させようとする書物が禁じられ、コペルニクスの『天球の回転について』と他の一冊の書物が、訂正されるまで閲覧中止となっただけであった。つまり、ガリレオはなんの咎もうけなかったのである。
 ある種の知的遊戯のような裁判は、ガリレオに多少の不快な思いをさせただけで、彼の態度に影響を及ぼさなかった。だから、ガリレオはのんきに自分の研究を続けられたし、また同時に晩年の悲劇を回避するきっかけとなることもなかった。


彗星の出現

画像は、1997年に明るく見えたヘール・ボップ彗星(画像提供:福島英雄 国立天文台)。画像は、1997年に明るく見えたヘール・ボップ彗星(画像提供:福島英雄 国立天文台)。 1618年の秋、彗星が相次いで三つ出現した。いわゆる第一次裁判以降、沈黙を守っていたガリレオも意見を求められた。
 アリストテレスの考えによれば、月よりも上の世界は完全無欠であり、変化は起きない。だから、もし夜空に何か異変が起きたとすれば、それは月よりも下の世界の話であり、つまりそれは気象現象と同様のものである。
 ケプラーの師であるティコ・ブラーエという天文学者は、彗星を宇宙に満ちているエーテルを呼ばれる物質が凝縮したもので直線運動をしているものと考えた。
 ガリレオは前年末に体調を崩して床に伏しており、直接これらの彗星を観測することはできなかった。それでも彼は思案を巡らし考えた。彗星は月よりも下の現象で地上から立ち昇った蒸発物が太陽の光を反射している、とガリレオは結論を得た。アリストテレスの考えに近くなってしまったが、彗星が直線運動をしているという点ではティコ・ブラーエに従っていた。


宇宙は一巻の書物

 ガリレオは宇宙を一つの書物にたとえた。そして、その書物は数学で記述されていると思っていた。とらえどころなくあやふやな世界も、背後には数学的に表現できる法則がある、とガリレオは信じていた。今回の彗星に関しても、彗星が動いているならば、数学的に簡単に説明のつく直線運動をしているべきなのであった。
 1623年、ガリレオは『贋金鑑識官』という書を出版する。そこには、宇宙という書物は数学の言語で書かれており、数学を学ぶことになしには宇宙を理解することはできない、というガリレオの自然観が明確に示されていた。近代の科学が、今まさに生まれようとしていたのだった。

執筆をするガリレオ。速報性の重視(『星界の報告』)や、対話形式やイタリア語を用いて一般読者を念頭に読みやすさを重視(『天文対話』『新科学対話』)した点など、ガリレオは社会に対して優れた情報発信能力を発揮した。最初の科学コミュニケーターといえるかもしれない。執筆をするガリレオ。速報性の重視(『星界の報告』)や、対話形式やイタリア語を用いて一般読者を念頭に読みやすさを重視(『天文対話』『新科学対話』)した点など、ガリレオは社会に対して優れた情報発信能力を発揮した。最初の科学コミュニケーターといえるかもしれない。

『贋金鑑識官』の表紙(画像提供:Istituto e Museo di Storia della Scienza, Florence)『贋金鑑識官』の表紙(画像提供:Istituto e Museo di Storia della Scienza, Florence)『贋金鑑識官』の表紙(画像提供:Istituto e Museo di Storia della Scienza, Florence)