世界天文年2009:ガリレオの生涯 - 10.確信/動かぬ地動説の証拠

10.確信

動かぬ地動説の証拠


金星

 ガリレオの科学的業績はフィレンツェに転居してから絶頂を迎える。まず望遠鏡による天体観測を続けたガリレオは金星に満ち欠けがあることを発見した。1610年12月、金星の満ち欠けを観測したガリレオは、その発見をアナグラム(暗号)にして有力者や知識人に伝えた。もちろん、アナグラムになっているのだから、ガリレオが何を発見したのか、知らせを受けとった側は分からない。だから、ケプラーはまたもやアナグラムを解読するための無駄な努力をすることになる。翌年、ガリレオはアナグラムの回答を公表する。金星が満ち欠けをしていることから、惑星が自分では発光していないこと、そして、太陽の周りを回っていること、この結論をガリレオは確信したのだった。

金星スケッチ金星のスケッチ

金星の満ち欠け金星の満ち欠け

●金星のスケッチと満ち欠け
ガリレオが描いた金星のスケッチ(左/画像提供:Istituto e Museo di Storia della Scienza, Florence)。満ち欠けや見かけの大きさの変化を観測し、地動説の確信を得た。右は、実際の金星の満ち欠けの変化をとらえた組写真(画像提供:福島英雄 国立天文台)。

太陽黒点

『太陽黒点とその諸属性に関する話と証明』の表紙。3通の手紙からなる書簡集の体裁をとる(左/画像提供:Istituto e Museo di Storia della Scienza, Florence)。『太陽黒点とその諸属性に関する話と証明』の表紙。3通の手紙からなる書簡集の体裁をとる(左/画像提供:Istituto e Museo di Storia della Scienza, Florence)。 1613年、ガリレオは『太陽黒点とその諸属性に関する話と証明』という書を出版している。太陽の黒点が惑星などではなく、太陽の表層での現象であることと、黒点の動きから太陽が自転していることを主張しているものである。この本の成立の背景には、地動説を認めるかどうかについてのガリレオとその他の学者による激しい論争がある。この本自体が論敵への反論としての手紙であり、じっさいガリレオは『星界の報告』以後、激しい議論にさらされ、またガリレオもその渦のなかに自ら飛び込んでいった。自らへの批判に対し、時に黙殺し、時に苛烈に反論した。そこには、真理を求める情熱と自分の自己顕示や名誉欲などが一体となった、ガリレオの人格そのものが現れていた。

黒点は、強い磁場の影響で周辺より温度が下がって「黒く」見える。ガリレオの観測から400年、太陽活動のバロメーターとして長く観測され続けている(画像提供:国立天文台)。黒点は、強い磁場の影響で周辺より温度が下がって「黒く」見える。ガリレオの観測から400年、太陽活動のバロメーターとして長く観測され続けている(画像提供:国立天文台)。

ガリレオが描いた太陽黒点のスケッチ(画像提供:Istituto e Museo di Storia della Scienza, Florence)。書簡の相手は、黒点を太陽に近い惑星と考える論敵シャイナーであった。ガリレオが描いた太陽黒点のスケッチ(画像提供:Istituto e Museo di Storia della Scienza, Florence)。書簡の相手は、黒点を太陽に近い惑星と考える論敵シャイナーであった。

ローマへの名誉の道

 ガリレオはその生涯で6回、ローマを訪問しているが、それぞれの旅の意味合いは大きくことなる。若いときローマを訪れたとき、彼は教授職を得ることで頭がいっぱいだった。将来の来るべき栄光を思い、それに心をおどらせていた。望遠鏡を用いた天体観測による発見をたずさえてローマに旅立ったのは1611年のことだった。ローマへの旅は2度目で、このときガリレオはトスカナ大公の用意した輿に乗って旅をし、ローマのトスカナ大使の邸宅に滞在した。ガリレオはまずイエズス会をはじめとする教会関係者に、自分の発見を説明しようとした。
 ガリレオは教会の人たちにも好意的に受け入れられたようである。天動説と地動説のどちらが正しいかについては決着がつかないままではあったが、月の表面や木星の衛星、金星の満ち欠けなど、ガリレオの新発見そのものを疑う人はいなかった。このローマ訪問は名誉のうちに終わったのだった。


潮の干満と地動説

 このころには、ガリレオは地動説の正しさを理解し、確信していた。彼は望遠鏡による観測を行う前から地動説の可能性について考えていたようだが、いつから地動説の信者となったのかは、はっきりしない。ガリレオが地動説を信じるようになったのは、実は天文観測が理由ではない。潮の満ち引きから、ガリレオは地動説を思い立ったのだ。もちろん、現在の科学では潮の干満と地動説は直接にはつながらない。この点、地動説を確信するまでの過程は錯誤を含むものであったが、結局、1610年に太陽の黒点と金星の満ち欠けを目の当たりにして、ガリレオは地動説を疑いようのない真理だと考えたのだった。