世界天文年2009:ガリレオの生涯 - 1.天才の誕生/借家住まいの名家

1.天才の誕生

借家住まいの名家


同期はシェイクスピア

 西暦1564年の2月15日、ガリレオ・ガリレイはイタリアのピサで生まれた。イギリスの劇作家シェイクスピアと同じ年の生まれであり、ガリレオの生まれた日付2月15日は、ルネサンス最後の巨匠、ミケランジェロの死ぬ3日前のことである。当時、イタリアは各都市を中心とした小国家群に分かれており、ガリレオが生まれたトスカナ大公国は君主制の国で、他のイタリア半島の国々同様、ルネサンスを終えての長い凋落の時代に入ろうとしていた。
 ガリレオ・ガリレイという特徴的な名前は、ガリレイという姓を単数形にしたガリレオという言葉を名にしたもので、これは今現在でも続くトスカナ地方の古くからの慣習によるものである。ガリレイ家はトスカナの旧家で、過去にはトスカナ共和国の行政長官も輩出している。また、一族にはガリレオと同名の医師もおり、フィレンツェ大学で医学の講義をしていたという。

ガリレオの生家(中央の建物)。ガリレオの生家(中央の建物)。

生家の壁に掲げられている記念のプレート。生家の壁に掲げられている記念のプレート。

趣味はリュート

 ガリレオの父、ヴィンチェンツィオは高潔だが売れない音楽教師で、家はそれほど裕福でなく、ガリレオが生まれた時、一家はピサに3つのバルコニーのある4階建てのアパートを借りていた。その後、父は単身フィレンツェに移るが、1574年、ガリレオ一家は父と合流し、改めて家族での生活が始まった。息子ガリレオも父同様、リュートを荘厳に演奏するのを好んだ。ガリレオはサンタ・マリア修道院付属の学校に入学するが、目の炎症の治療を理由にして、そこを辞めている。その病気が後年の病のもとなのか、それとも退学のための単なる口実なのか、それは分からない。

サンタ・マリア修道院。サンタ・マリア修道院。

修道院の構内。修道院の構内。